最近になってから、俺は新しい仕事を任せられるようになった。
その仕事とは、若手社員の教育指導者という名のフォロー。
別に不服ではないし、一人で全て担うわけではないから負担もそんなに大きくない。
ただ、俺が指導できるのかどうかが不安だけど。
周囲から慕われているわけでもないし、どちらかと言えばいじられている方だ。
そんな俺が指導係なんかでいいんだろうか・・・不安過ぎてどうしていいかわからない。
上司はそんなに硬くならなくても大丈夫と言っていたが、緊張しない方が無理だろ。
そして、今日から始まるわけだが俺が担当するのはどんな奴なんだろうか。
一人で複数の指導をしなければいけないから、責任重大だよな・・・。
「おはよう、みんな揃ってるかー?」
「おはようございます!」
俺は会議室へ入って、前に立って何人いるのか確認した。
ざっと数えても10人くらいいる。
果たして俺は本当に相手が出来るんだろうか。
皆何かテキストのようなものを持っているが、実は俺マニュアル通りに動けないタイプなんだよな。
煩わしいし、マニュアル通りにしか行動できないのは好きじゃない。
本来はマニュアルに沿って進めて行くんだろうけど。
俺はテキストを確認して、内容を一通り眺めていった。
なるほど、挨拶という基本からやるわけか。
それにしても、春ではないと言うのに研修する意味が俺には分からない。
確かにマナーとは常識は大事だが、こういうのは普通入りたてにするものなんじゃないのか?
「みんな、マナーについて知っているのか?」
「俺は詳しく知らないですが、最低限だったら何とか・・・」
そう話したのはP-oneカードだった。
P-oneカードは年会費が永年無料となっていて、学生やアルバイト、主婦でも入会することが出来るカードとなっている。
また、支払方法も自由に選ぶことが出来るから非常に便利なんだ。
ノーリスクで手軽にたくさんポイントを貯めたい人にオススメのカード。
特に明るいと言った感じでもなくて、だからと言って不愛想と言うわけでもない。
常に落ち着き払っていて、だけど新入社員や女性から慕われている。
俺が以前から気になっていた人物だ。
礼儀正しくて、落ち着いていて俺よりもずっと大人っぽくてうらやましい限りだ。
「P-oneカードは礼儀正しいから、覚えることが少なさそうだな」
「そんなことありませんよ!
俺だって覚えることはたくさんあります」
やはり丁寧な話し方。
そういや一度も怒ったところを見たことが無いし、弱音を吐く姿も見たことが無い。
いつもこんな感じだから、たまには違った部分も見てみたいかもしれないな。
そんな事を考えながらテキストを進めていく。
比較的にみんな素直に説明を聞いてくれているから、進めやすかった。
やはり、テキストの順番に沿って進めることが出来ず、俺は自分なりに進めることにした。
それでも、みんながついてきてくれるから助かった。
一通り研修を終えて、俺は皆を通常業務へ戻した。
俺自体がマナー研修を受けていないから、心配だが・・・。
「アメックス先輩、テキストの6ページなんですが・・・。
これって、どうした方がいいでしょうか?」
俺に声をかけてきたのは、P-oneカードだった。
わざわざ質問をしてくるなんて、本当に真面目な奴なんだな・・・。
俺はテキストを確認して、固まった。
それは、スパゲティーの食べ方だった。
こんなことまで書かれていたのか・・・ってかなんでスパゲティー?
俺でさえ今驚いているんだから、そりゃあ真面目なP-oneカードも驚くよな・・・。
それにしても、スパゲティーの食べ方か・・・。
「普段は好きな食べ方でいいと思うが、それ以外ではスプーンは使わない方がいいな。
スプーンを使って食べるのは幼稚だと言われているらしいから。
スープパスタは仕方ないかもしれないけど、それ以外はフォークだけがいいかもしれないな」
「なるほど・・・分かりました!
アメックス先輩はスパゲティー召し上がらないとお聞きしました。
それって本当なんですか?」
「ああ、食べないな。
別にキライってわけじゃないんだが、ほら、ケチャップとかはねるだろ?
俺さ、そういう時に限って白いシャツとか着ちゃうんだよ・・・」
「それって食べ方の問題では・・・」
言われてみれば、洋服の色とかじゃなくて食べ方の問題なのかもな・・・。
なるべくはねないように気を付けているつもりなんだけど、気が付くとはねてるんだよな。
白いシャツはあれから避けるようにしたけど、そういう問題じゃなかったのか。
フォークを使ってうまく巻いて食べているつもりだけど、出来ていない・・・。
やばいな・・・これからスパゲティー、どうやって食えばいいんだ?
P-oneカードに食べ方を再現してほしいと言われて、俺はジェスチャーして見せた。
すると、P-oneカードは楽しそうに笑った。
「ずいぶん、豪快に召し上がるんですね!
それじゃあ、はねてしまっても無理ありません。
何だか大きなコドモみたいで面白いですね」
「これが俺のスパゲティーの食べ方だっ!」
「それじゃあ、ラーメンと変わりませんよ!
もっとフォークに巻き付けて食べないと」
俺はスパゲティーをフォークに半分巻いて、ずるっと食べている。
P-oneカードは、その食べ方だから洋服にはねてしまうのではないかと指摘した。
だけど、そんなおしゃれな食べ方、俺にはとても出来そうにない。
今の食べ方を変えれば、洋服にはねなくて済むなら変えるしかないよな・・・。
ちゃんとフォークに巻き付けて食べなきゃいけないのか~。
そんな事をしばらく話して、俺たちも業務へと戻った。
遠くで、P-oneカードが他人の失敗をフォローしているのが見えて、やっぱりしっかりしているなと改めて確認した。
頑張って働いているから、俺も頑張らなきゃなって刺激される。
それからしばらくしてある問題が起きてしまった。
今日の午後一の会議で配るはずだった資料が紛失してしまったのだ。
任されていたのは、P-oneカードともう一人の男性社員。
「お、俺はお前に任せたんだ!
紛失した責任は俺じゃなくて、P-oneカードにある!」
「え・・・君も一緒に任されているじゃないか。
そもそも、俺はちゃんとキャビネットに保管しようって何度か言ったはずだよ。
それを君が無視して勝手に持ち運んだんじゃないか」
「だけど、お前が・・・!」
言い争いなんてしている場合じゃない。
早く見つけるか代わりのものを準備しなければ、本当にまずいことになるぞ。
社員みんなして資料を探しつつ、もう一度パソコンからデータを引っ張ってコピーしていく。
P-oneカードも一生懸命資料を探している。
色々な場所をくまなく探しても一向に資料は出てこなくて、仕方なくみんなでコピーをしていくことに。
結局、資料がどこへ行ったのか分からずじまいで進めることになってしまった。
会議には何も支障が出なくて済んだものの、資料紛失が上司に知られて問題になってしまった。
P-oneカードともう一人のどちらが悪いのか話してもきりがないため、二人ともしばらく重要な仕事を任せられないという事になった。
「P-oneカード、大変だったな」
俺は屋上で独りたそがれているP-oneカードに声をかけた。
その後ろ姿は本当に参ってしまっているような状態で、すごく心配になってしまった。
疲れているかのように笑みを浮かべているが、本当は笑う余裕などないのではないかと思う。
P-oneカードは真面目だから、心配なんだよな・・・。
「なぁ、無理しなくてもいいと思うんだ。
お前は真面目だし、何事も一生懸命なのはいいけどそれじゃ身体が持たない。
だから、少しだけでも構わないから力を抜いてみたらどうだ?」
「力を抜く?」
「そうだ、何事も頑張るのはいいけど少し手抜きしたって構わない。
俺を見てみろって、案外手抜きしてもしっかりするところしっかりしてれば問題ない。
P-oneカードも少し力を抜いて、リラックスしてみろって、な?」
そう言われても、やっぱり最初は難しいと思う。
力が入っているという自覚がないから、力の抜き方を知らない。
一度力を抜いてしまえば簡単なのに、そこに辿り着くまでが長いんだよな。
P-oneカードも歪んだ表情をしている。
そうそう、真面目な奴ほど難しく考えてドツボにハマってしまう。
俺は、P-oneカードの背中をぽんぽんと軽く叩いて屋上を去った。
たぶん、俺がそばにいたら気が散ってしまうだろうから。
人間、時には一人になりたい時もある。
そして、あれから2週間後。
俺は相変わらず、忙しく仕事を進めていた。
P-oneカードは、あれから全く別人のようになった。
何て言うか、以前よりも冷たい感じや真面目な感じがなくなったような感じ。
「アメックス先輩、肩に蝉止まってますよ!」
「うぉっ、マジかッ!!
やっべ、誰か、誰かとってくれー!!
お、俺セミダメなんだよ・・・!」
すると、みんなが笑い始めた。
何だよ、人の不幸を笑いやがって・・・こっちは必死だってのに!!
あれ、でもセミって普通ミンミン鳴くよな?
何でこいつ鳴かないんだ?
確かめたくても、怖くて振り向けない。
・・・・えぇい、しゃらくせー!!
思い切って俺はセミを手に掴んで確認したが、俺は脱力した。
それは、よくできたおもちゃで一気に緊張感から解放された。
「P-oneカード、お前やりやがったな!!」
「手を抜いてみろって言ったのは、アメックス先輩ですよ!
だから、これからもっと蝉を仕掛けていきたいと思います!」
「おー、お前力抜けるようになったのか!
って、同じ目に引っ掛かる俺じゃないんだよ!」
「あはは!」
P-oneカードが楽しそうに笑い、周囲もつられて笑っている。
真面目過ぎるのってきっとつまらないと思うし、楽しめる時に楽しむのが正解だと思う。
P-oneカードは吹っ切れたのか上司との言い争いになっても、きちんと自分の意見を言えるようになった。
少しずつ成長しているのが、俺の眼で見てもわかる。
このまま頑張れ、P-oneカード!